飯高山 萬勝寺の成立ち

飯高山 萬勝寺の成立ち

当山、飯高山萬勝寺は寺伝によれば1,200年前の平安初期に比叡山延暦寺の三代座主慈覚大師を開祖として創建されたと伝えられ、当時は天台宗で満昌寺(まんしょうじ)と称されていました。

中世には七堂伽藍に仏法道場、仁王門を備え十ニヶ院の山内寺院に観音堂は十二間四面と栄華を誇ったと伝わってますが、戦国時代、武田氏により全山焼失しました。

その後江戸時代に宗派を臨済宗とし、戦火をのがれた慈覚大師作と伝えられる千手観音菩薩像を安置し、満昌を「萬勝」と変え臨済宗萬勝寺が誕生しました。

300年の歴史を持つ各堂宇でしたが、昭和16年惜しくも失火により失われます。

しかし、太平洋戦争後、檀信徒の方々の尊いご尽力により本堂、観音堂(現観音堂の左側の建物)、庫裡が建設されました。

平成元年、檀信徒の方々の尊いご尽力のおかげで山門、鐘楼が、そして平成4年、本堂が再建され、これを契機に山号を現在の飯高山と改名しました。

平成13年(2001年)10月に現在の観音堂が落慶しました。

参拝客の方々から「飯高さん」と親しまれ、「厄除観音」として知られる千手観音菩薩像はここに安置されており、17年に一度のご開扉が待たれています。

茶室 園月(えんげつ)

現在より約300年前、岩村城内に藩主松平乗紀(まつだいらのりただ)によって宝永年間(1704~1711年)に建てられたと伝えられる茶室です。

明治維新の廃城後4回に渡り所有者が変りましたが、平成17年3月、貴重な郷里の文化財の流出を憂えた旧岩村町出身の茶道家のご尽力によって当山境内に移築されました。

藩校「知新館」を創立した文化人である藩主松平乗紀の愛でた文人趣味の茶室は、内外とも300年前の姿をほぼそのままに、庭木・庭石に至るまで岩村城ゆかりの優雅なたたずまいが復元されています。

茶室 圓月

住職挨拶

お気楽にお参り下さい。

ひとこと

のちほど

ご詠歌

やまびこの なにおかここに 飯高や

妙なる法の 庭にこたえて